威風堂々

 

 

23年目のシ−ズンは,もしかしたら今迄で一番酷かったシ−ズンだったかもしれない。
公私共という事で言えば。
というか,2004年に入ってからが悪かったというべきだろうか。
その時の僕は,これから次々に起こるであろう様々なトラブルを既に予想して、あの行動を起こそうと準備
を進めていたのではないかと思われる程だ。
自分の力でマイナスをプラスに転換させる為に。
座して嵐が過ぎ去るのをじっと待つ事など出来なかったのだ。
まして,それが過ぎ去る保障など、どこにもなかったのだから。

「本を出版しよう」

そう思ったのは,最初は、ほんのささいな思いつきでしかなく、作業を進めながらも「本当に出すつもりなのか?」
と自問するもう一人の自分がさかんに止めていたのも事実なのだ。
しかし,僕はその行為に邁進した。
それと寄り添うように,予想は的中し、様々なトラブルが僕の身に降りかかってきた。
「占い師になるのも悪くないか」
と,自分の前に行列が出来ている光景を思い浮かべてみたりしながら「案外、当たるかもしれないな」などと、
満更ではない妄想の海を漂ったりもしていたものだ。
仕事も,私生活も、体調までもが最悪の中、無理を承知の上で始めた「本創り」は、僕にオアシス的な役割を
果たしてくれて行く事となった。
しかし,トラブルには最後の最後まで悩まされた。
最後のトラブルとは・・・

声を失くした事だった。

それは突然やってきた。
3/12(土)・13(日)と行われたイベントの二日目の夜公演・千秋楽。
最後のステ−ジが始まる直前,違和感は感じていたのだ。
控え室で喋る声は,少々掠れ気味になっていた。
そして,自分の歌のコ−ナ−を終え、控え室に戻ってきた時、声は完全に掠れ、普通に声を出すのも
億劫な状態で、時間が経つにつれ,酷い状態になっていった。
というか,音にする事も難しくなっていったのだ。
だが,まだイベントは折り返し地点を迎えたところであり、僕には、キャラクタ−でセリフを言うコ−ナ−と、
フリ−ト−クのコ−ナ−が残されていた。
出番直前,舞台裏の通路でセリフを言ってみたのだが、キャラクタ−からはほど遠かった。
音は掠れ,上の音が出ず、丸味を帯びた柔らかな響きは望みようもなく、この時点で自分に出来る事と
いったら、数分後にステ−ジに立ち声を発するその時まで「声は出る!」と信じ心の中で呟き続け、己の
潜在能力の強さに賭ける他、道はなかったのだ。
助かったのは,駄目だと分った瞬間、自分に「絶望」しなかったという事だ。
「火事場の馬鹿力」をどこかで信じていたのかもしれない。
「気」を全て喉に集中しながら,僕は「声は出る、必ず出る!」と、一遍の疑いもない思いを心の中で呟き
続けていた。
やがて僕の役がステ−ジ上のスクリ−ンに投影され,僕は静かに光の中に身を晒していった。
「譲(ゆずる)・・・」
短い階段を上る直前,僕は右手で左胸を二回程叩き、彼の鼓動を感じようとしていた。
歩を止め,台本に目をやる。
果たして・・・

声は出た。

その後のフリ−ト−クでも,喋れば喋る程、声の調子は良くなっていった。
しかし・・・
蝋燭の炎が,消える寸前、勢いを増して燃えるように、控え室に戻ると、まるで吹き消したかのように僕
の声はなくなっていたのだ。
最後の挨拶の時はもうどうしようもなく,声が酷い状態になった事を露呈する事となってしまった。
そう、この時の僕は、渾身の思いを込めて、残りカスを無理やり集めての挨拶と、皆で唄うラストソング&
アンコ−ルに、カスさえも残らない程の熱い情熱を注ぎ、会場全体に届けとばかりに魂で叫んでいた。
打ち上げの時。

僕は,殆ど息で喋る事しか出来なくなっていた。

それから二日間,僕の声は失われていたのだ。
イベントの翌日,すぐに行きつけの耳鼻科に駆け込み「声帯が痛んでいますね、中原さん初めてじゃない
ですか、いつもはどんなに酷くても声帯は綺麗なのに」と診断を下され「スペシャルコ−ス」だと言う処方を
施された。
だが,声は中々戻る気配を見せず、三日目にようやく復活の兆しが見え始め、金・土・日と、回復の速度
はようやく速まっていった。
そして月曜日から現場復帰するのだが,前週の仕事は全て代役を立てられる事となった。
中には,僕を想定して「あてがき」をしてくれていた作品もあり、担当プロデュ−サ−から「残念ですねぇ」
という言葉を受話器を通して聞いた時「本当に申し訳ありません」と謝る事しか出来なかった自分が歯痒く
て仕方なかったものだ。
ただ,今回このような体験をした事によって、人や物に対する考え方が、少々変わってきたようだ。
人や物に対して,時に変に厳しく接する傾向にあった自分が、頑なな殻が取れたというか、破れたという
か、穏やかな心持で接する事が出来るようになったのだ。
「それぞれにはそれぞれの事情があるのだ」
と,そんな風に自然に思えてきた。
今迄は,ただ腹を立て、やり場のない憤りを胸の内に抱えながら、日々を過ごしていたりしたのだ。
それが今は,何故か清清しいとさえ感じてしまう。
胸の痞(つか)えが一つ取れたと言ったら分っていただけるだろうか。
そして身をもって学んだ事は「最後の最後まで諦めない強い心を持つ」という事がどれだけ大切かという
事だった。
「思い」は「思い続ける事,信じ続ける事」は「絶望」を「希望」に変える力を持っているという事なのだ。
「不可能」を「可能」にする力を内包しているという事なのだ。

24年目のシ−ズン開幕!
先シ−ズンの借りはキチンと返さなければならないだろう。
それも,ごくごく自然に、当たり前に。

俯(うつむ)く事を由とせず,僕は再び歩み出す。
風を友とし,ただ舞うように、在るがままに。

「威風堂々,我、信ずるこの道を行(ゆ)かん・・・」



2005/4/1(金)17:26 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて

 

   
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