ご挨拶 |
|
あけましておめでとうございます。 わたくし中原茂は,昨年末で「シグマセブン」を離れ、今年の一月一日付けで「ビ−ボ」所属となりました。 「何もそんな忙しい時に移籍しなくても」 という声も聞こえてきそうですが「移るならこのタイミングか」と思っていたのは事実です。 去年は,公私共に実に様々な出来事がありました。 色々な事が動いた1年でした。 そんな年の最後に自分が動く。 これは計画していた訳ではなく,たまたまだったのですが、1年の締めは、計らずとも己の去就に集約されました。 もしかしたら今迄で一番「不安」なのかもしれません。 ただ「待っていても」埒は明かず,ならば、積極的に前に出るべきだろうと。 そうする事で「不安」な気持ちを紛らわそうとしているだけなのかもしれませんが。 とにかく今年からは,野(や)を奔る事になりそうです。 やるからには思いっきり奔り廻りたいと思っています。 「不安」を「希望」へと昇華出来ればと。 デスクやマネ−ジャ−とも積極的に関わっていければと。 信頼関係をしっかりと築きあげていきたいなと思っています。 そういった意味では,ゼロからのスタ−トとなりますが「畏れず」立ち向かっていければ「自ずと道は開けるのでは ないのか」そう信じています。 強く信じています・・・ この先には,どのような風景が広がっているのでしょう。 どのような風景でも,全てをポジティブに捉えて。 新しい一歩,踏み出します! 2008年/元旦 |
|
「威風堂々」 23年目のシ−ズンは,もしかしたら今迄で一番酷かったシ−ズンだったかもしれない。 公私共という事で言えば。 というか,2004年に入ってからが悪かったというべきだろうか。 その時の僕は,これから次々に起こるであろう様々なトラブルを既に予想して、あの行動を起こそうと準備 を進めていたのではないかと思われる程だ。 自分の力でマイナスをプラスに転換させる為に。 座して嵐が過ぎ去るのをじっと待つ事など出来なかったのだ。 まして,それが過ぎ去る保障など、どこにもなかったのだから。 「本を出版しよう」 そう思ったのは,最初は、ほんのささいな思いつきでしかなく、作業を進めながらも「本当に出すつもりなのか?」 と自問するもう一人の自分がさかんに止めていたのも事実なのだ。 しかし,僕はその行為に邁進した。 それと寄り添うように,予想は的中し、様々なトラブルが僕の身に降りかかってきた。 「占い師になるのも悪くないか」 と,自分の前に行列が出来ている光景を思い浮かべてみたりしながら「案外、当たるかもしれないな」などと、 満更ではない妄想の海を漂ったりもしていたものだ。 仕事も,私生活も、体調までもが最悪の中、無理を承知の上で始めた「本創り」は、僕にオアシス的な役割を 果たしてくれて行く事となった。 しかし,トラブルには最後の最後まで悩まされた。 最後のトラブルとは・・・ 声を失くした事だった。 それは突然やってきた。 3/12(土)・13(日)と行われたイベントの二日目の夜公演・千秋楽。 最後のステ−ジが始まる直前,違和感は感じていたのだ。 控え室で喋る声は,少々掠れ気味になっていた。 そして,自分の歌のコ−ナ−を終え、控え室に戻ってきた時、声は完全に掠れ、普通に声を出すのも 億劫な状態で、時間が経つにつれ,酷い状態になっていった。 というか,音にする事も難しくなっていったのだ。 だが,まだイベントは折り返し地点を迎えたところであり、僕には、キャラクタ−でセリフを言うコ−ナ−と、 フリ−ト−クのコ−ナ−が残されていた。 出番直前,舞台裏の通路でセリフを言ってみたのだが、キャラクタ−からはほど遠かった。 音は掠れ,上の音が出ず、丸味を帯びた柔らかな響きは望みようもなく、この時点で自分に出来る事と いったら、数分後にステ−ジに立ち声を発するその時まで「声は出る!」と信じ心の中で呟き続け、己の 潜在能力の強さに賭ける他、道はなかったのだ。 助かったのは,駄目だと分った瞬間、自分に「絶望」しなかったという事だ。 「火事場の馬鹿力」をどこかで信じていたのかもしれない。 「気」を全て喉に集中しながら,僕は「声は出る、必ず出る!」と、一遍の疑いもない思いを心の中で呟き 続けていた。 やがて僕の役がステ−ジ上のスクリ−ンに投影され,僕は静かに光の中に身を晒していった。 「譲(ゆずる)・・・」 短い階段を上る直前,僕は右手で左胸を二回程叩き、彼の鼓動を感じようとしていた。 歩を止め,台本に目をやる。 果たして・・・ 声は出た。 その後のフリ−ト−クでも,喋れば喋る程、声の調子は良くなっていった。 しかし・・・ 蝋燭の炎が,消える寸前、勢いを増して燃えるように、控え室に戻ると、まるで吹き消したかのように僕 の声はなくなっていたのだ。 最後の挨拶の時はもうどうしようもなく,声が酷い状態になった事を露呈する事となってしまった。 そう、この時の僕は、渾身の思いを込めて、残りカスを無理やり集めての挨拶と、皆で唄うラストソング& アンコ−ルに、カスさえも残らない程の熱い情熱を注ぎ、会場全体に届けとばかりに魂で叫んでいた。 打ち上げの時。 僕は,殆ど息で喋る事しか出来なくなっていた。 それから二日間,僕の声は失われていたのだ。 イベントの翌日,すぐに行きつけの耳鼻科に駆け込み「声帯が痛んでいますね、中原さん初めてじゃない ですか、いつもはどんなに酷くても声帯は綺麗なのに」と診断を下され「スペシャルコ−ス」だと言う処方を 施された。 だが,声は中々戻る気配を見せず、三日目にようやく復活の兆しが見え始め、金・土・日と、回復の速度 はようやく速まっていった。 そして月曜日から現場復帰するのだが,前週の仕事は全て代役を立てられる事となった。 中には,僕を想定して「あてがき」をしてくれていた作品もあり、担当プロデュ−サ−から「残念ですねぇ」 という言葉を受話器を通して聞いた時「本当に申し訳ありません」と謝る事しか出来なかった自分が歯痒く て仕方なかったものだ。 ただ,今回このような体験をした事によって、人や物に対する考え方が、少々変わってきたようだ。 人や物に対して,時に変に厳しく接する傾向にあった自分が、頑なな殻が取れたというか、破れたという か、穏やかな心持で接する事が出来るようになったのだ。 「それぞれにはそれぞれの事情があるのだ」 と,そんな風に自然に思えてきた。 今迄は,ただ腹を立て、やり場のない憤りを胸の内に抱えながら、日々を過ごしていたりしたのだ。 それが今は,何故か清清しいとさえ感じてしまう。 胸の痞(つか)えが一つ取れたと言ったら分っていただけるだろうか。 そして身をもって学んだ事は「最後の最後まで諦めない強い心を持つ」という事がどれだけ大切かという 事だった。 「思い」は「思い続ける事,信じ続ける事」は「絶望」を「希望」に変える力を持っているという事なのだ。 「不可能」を「可能」にする力を内包しているという事なのだ。 24年目のシ−ズン開幕! 先シ−ズンの借りはキチンと返さなければならないだろう。 それも,ごくごく自然に、当たり前に。 俯(うつむ)く事を由とせず,僕は再び歩み出す。 風を友とし,ただ舞うように、在るがままに。 「威風堂々,我、信ずるこの道を行(ゆ)かん・・・」
|
|
「真ん中を行く!」 去年の暮れ,ふとこう思った。 何かに思考を巡らせていた時,本当に唐突にこの言葉が浮かんできたのだ。 そして,23年目のシ−ズンがスタ−ト。 幕開けは,久しぶりのアニメ(レギュラ−)。 それも(これも何かの暗示なのか),「真ん中を行く!」をまさに体現している少年が主人公で。 僕の役回りは,彼等にゴルフを教えながら、実は彼等によって、閉ざしていた心を開き、また生きていく勇気を与えられる、若くして既に伝説となっている、天才と呼ばれた元プロゴルファ−。 それだけでもウキウキしていたのに,この現場には、驚きの再会が満ち溢れていた。 監督を初めて務めるというOさんとは20年振り位だったし,助監督の役回りのYくんとは17年振り位で(ちなみにYくんは,エッセイ「君と歩いた日々」に少しだけ登場している)、そして音響監督のJちゃんとは、10年振り位だったのだから。 (そういえば,最近違う現場でだったのだが、ある役者(女性)の方とは、やはり17年振り位であったのだ) だから何やら現場は同窓会のような雰囲気でもあり,「終わったら飲みに行きましょう!」と我々は勝手に盛り上がっているのだが、製作のスケジュ−ルが落ち着いてからでないと駄目だという事で、現段階ではまだ叶えられていない。 僕も,スタジオ内では最年長という事もあり、新人達の多い現場をある意味任されているので、こちらの方も気を引き締めていないといけないので、今は仕事に集中しているといったところだろうか。 ちなみに,仕事中の僕はボ〜ッとしていませんので、あしからず。(笑) なにはともあれ,またまた始まった新しいシ−ズン。 「真ん中を行く!」で思った事は,今年も僕は、自分が信じた渾身のストレ−トを投げ続けていくだろうという事だ。 今更変化球等投げる気はない。 と言っても,僕の投げるストレ−トは、どれも微妙に変化しているようなのだ。 まっすぐ行く事もあれば,手元で微妙に揺れる事もあり。 「その揺れがあるからいいのかもな」 等と最近の僕は思っている。 決まっていない揺れを伴いながら軌道を描いている「言葉」というボ−ルの数々。 「心」というミット目掛けて,僕は今日もひたすら投げ続ける。 なにをやるにしても。 そう,何をやるにしても、真ん中を行く!! 2004/4/1深夜 「自宅」にて 「永遠のリスタ−ト」 20年目のシ−ズンが始まりました。 4月から仕事をはじめた僕にとって,この月が、そのシ−ズンの新しいスタ−トラインとなっています。 何かが始まる予感をはらませている春から仕事を始められたという事は,ラッキ−だったのではと、今更ながらに考えています。 「来年は満20年かぁ・・・」 等とごちながら,自分が仕事をし始めた時の事や、今までの事を思い返していました。 しかし,どうしても、その時その時に、自分が何を考え、仕事に向かっていたのかという事は、ハッキリと思い浮かべる事ができず、ただ、いつも思っていた事は、年の瀬を迎える頃になると、「来年も仕事を続けていかれるのだろうか・・・」 という漠然とした思いでした。 とても多くの時が流れていったはずなのに,とても多くの事柄が流れていったはずなのに、まだ自分は何もしていず、これから「何か」をやるべく一歩を踏み出そうとしている。 そんな錯覚にとらわれてしまう。 そして逆に,「全ては一瞬のうちに過ぎてしまったのではないか」 そんな風に思ってしまう自分がいたりします。 「今年も自分はしっかり生きていけるのだろうか」 毎年繰り返すこの言葉を繰り返しながら,ただ、いつものシ−ズンとは少し違う、自分の秋(とき)が少しずつ満ちてきている予感を感じながら、また新たな気持ちで、胸を張って歩き始めたいと思っています・・・ 今年もヨロシク!! 2001/4/1 自宅にて 中原 茂 「1周年に寄せて」〜風吹く丘で〜
新世紀のご挨拶 新しい世紀が幕を開けました。 そして僕も,1月22日の誕生日で、40歳を迎えます。 新世紀に40代突入というのも,何か意味のある事なのだろうかと思ったりしています。 でも,別に特別な事はなく、ただゆっくりと、始まりの時は過ぎてゆくのでしょう。 「人は死ぬ為に生きている」 そんな言葉を小説中の登場人物に語らせた作家の方がいました。 成る程と思う反面,死ぬ為ではなく、「生きている証を求めて生きたい」とも思いました。 ただ確かに死に近ずいてはいるのでしょうが。 ならば,成功するにしても失敗するにしても、それを恐れずに成す自分で在りたい。 傷つくのを恐がっていたら何も出来ませんから・・・ 「自分らしく在りたい」 我を通すのではなく,自然にそう在りたい。 ここも,そんな場所として在り続けられればと思っています。 今年も「エッセンス」をよろしく! 中原 茂 僕にとって19年目のシ−ズンがはじまりました・・・ 僕も39才になります。 今日はとてもいい天気です。 2000,1.21(金) ・15:55 茅ヶ崎「ド−ヴィル」にて・・・・・ by 中原 茂 こんにちは,この度.中原 茂オフィシャルHP「エッセンス」をたちあげる事になりました。そしてこのHPを管理してくれるのは.知人を介して偶然知り合いになった,飲み友達でもあり.大のビバリ−フリ−クでもある.バンブ−君です。 今回は彼の好意に大いに甘えるかたちになりました。 僕がこの「エッセンス」に望む事は,ホンワカとした暖かいHPであってほしいという事です。きてくれる人達の心のオアシスとなるような・・・ そこには,誰の方が偉いだの.気兼ねをしなければ訪れる事ができないだのといった事は決してあってはいけない事だと思っています。 あたりまえの事ですが,誰でも自由に出入りができて.自由に意見を交換できる場でなければ存在する意味はないのではないかと思っています。 僕自身インタ−ネットを始めて日の浅い人間ですが,それでも少しは判ってきたつもりです。 ここを通して僕という人間がどういう人間であるのか,少しでも感じていただければ幸いです。
PS:1999・11/12(金),16時27分・・・雨に煙るテニスコ−トを眺めながら・・・ by 中原 茂
|
HOME | Copyright 1999-2007 Sigeru Nakahara. All rights reserved. |