「セルフブランディング」〜ジャ−ニ−マンの行方〜


「ラッキ−7か・・・」

一番「まさか」と思っているのは自分自身かもしれない。
「俺も立派なジャ−ニ−マンだな」
先月まで在籍させていただいていた事務所「ビ−ボ」(6つ目の事務所)に移籍した時の気持ちを認めたエッセイ(「風よ」〜オレンジ・ドリ−ム〜参照)の最後の方に引用させていただいた言葉「ジャ−ニ−マン」
まさか再びこの言葉を使うとは,正直思ってもいなかった。
「ビ−ボ」は僕にとって,とても居心地の良い場所であったし、自分として緩やかに生きていられる空間でもあった。
ならば何故。

プロスポ−ツ(アメリカ)の世界で,風のように球団を渡り歩く強者達。
自分を必要としてくれる場所がある限り,例え一(ひと)シーズン毎であっても、そのチ−ムのシステムを全身全霊で学び、感じ取り、チ−ムメイトに溶け込もうとする努力を怠らない男達。
「ジャ−ニ−マン」
今よりもっと。
ここより遠くへ。
そんな強い信念を,当たり前に持ち続け「生きよう」と模索し続ける魂達。
それは,己を探し続ける為の旅なのかもしれない。
ただひたすらに。

「必要とされている」

そのような「思い」と巡り会った瞬間,人はどのような反応を示すのだろう。
自分の場合は,視界が開けていくような感覚が、じわりと沁み出してきたような案配だったのだ。
その感覚は,その時点から静かに静かに沁み出し続けていって。
勿論「オ−ルクリア」という感覚には至らなかったのだが「一歩を踏み出す勇気」の必要性は強く感じるようになっていった。
「希求」するようになっていったと言うべきだろうか。
タイミングもそうさせたのかもしれない。
20代に突入する際にも,30代・40代に突入する際にも「特別な感情」など殆ど何も抱かなかった筈なのに(感慨はあったのかもしれないが)、50代に突入する際には、確かに「特別な感情」が訳もなく渦巻いていたのだ。
得体の知れない「ザワザワ感」が,心の真ん中に暫く居座り続けていたのだ。(今はもうその気持ちを正確に憶いだす事は出来ないのだが)
ただそれは「負のイメ−ジ」ではなく。

「ぬるま湯に浸かりすぎたか」

と思っていたのも事実。
もっとしっかり「セルフブランディング」をと考え初めていたのも事実。
今の自分が余りにも情けなさすぎていたのも事実。
「3・11」を体感してしまった事も事実。
多くの人が「生きる」と言う事を真剣に考えはじめていた折り,自分も「何の為に生きるのか」「人生は一瞬で終わるんだ」という「現実」を「理屈」ではなく目の前に突きつけられたのも事実。

ならば・・・

もっとちゃんと生きるべきではないのか。
思い当たる中,何時の間にか自分でも「諦めて」しまっていた事柄に対して、しっかりとチャレンジしていくべきではないのかと。
「幾つになっても遅いという事はない」などと「うそぶいて」いても,その実、本当に自分はそれを信じていたのかと。
何時の間にか「思い」はあやふやになり「あやふやな」50歳を迎えた自分がいて。
時々叫び出したくなる自分がいて。

「一緒にやってくれないか」

この言葉を今の事務所「ビ−トワン」の社長,金沢さんから言われた時、正直、心の底がザワついた。
「俺は今迄,中原ちゃんと、ちゃんと話した事はなかったけど、一度、ある現場ですれ違って、一言・二言、言葉を交わしただけだったのに、この人はきっと、俺と似た感性を持ってると直感したんだ。うちみたいな小さな事務所でも色んな人が訪ねてくるんだけど、一緒にやるなら、歩んできた道のりは違うけど、俺の中では、中原ちゃん一人しかいないんだよ。少し考えてみてくれないか・・・」
もうこれは「感覚」でしかないと言う,ストレ−トな思いをぶつけてくれた金沢さんに対し、俺も真摯に向き合わせていただかなければと強く思った。
そして数ヶ月。
ただただ「思い」を語り続け。
ただただ,お互いを見詰め続け。

「このような出会いは,一生の中で、もう二度とないのかもしれない」

そして,こんな「甘ちゃん」な自分に真っ向から「そんなんじゃ駄目だ!」と、しっかりと切り込んで来てくれる人には、多分もう出会えないのではないのだろうか。
それも向こうからこのような「絶妙」のタイミングで声を掛けてくれて。
いつ何が起こるか分からないのなら「後悔」しないように,今思う事を、今やろうと思った事をやるべきではないのか。
「攻めの気持ち」を「守る事など論外」という気持ちを,しっかりと見つめ直すべきなのではないのか。
「見えた」のなら,躊躇なく渾身のストレ−トを投げ込むべきではないのか。
自分は今迄「アゲインスト」さえ「追い風」だと思い,一歩づつ歩を進めてきたのではないのか。

「隙間は在る筈だ」

金沢さんから「ビトゥイ−ンは必ずある筈だ」という言葉を聞いた時「同じ方向を向いている」と思い「必然性」を強く感じた。
自分が行ける道は必ず在る筈だ。
どんなにそれが細かろうと,そこに入り、広げていく事は可能な筈なのだ。
そう,己の「道」は己にしか切り開く事は出来ないのだから。

事務所は「自由が丘」にある。
初めて事務所を訪れた時,座った場所から外を見ると「緑が丘」という文字が少し遠方に見えた。
「緑が丘」
母方の祖父が住んでいた懐かしい場所と同じ地名。
自分が一番深く憶えている地名でもあった。
それを目にした時,微笑みと共に「これも何かの縁(えにし)かな」と思った。

「自由が丘」で俺は自由になる。

そんなフレ−ズを思い浮かべながら,この街から、新たな「覚悟」を持って、自由に羽ばたく己の姿を想像していた。

「蒼穹」を「太陽」を目指し,我、いざ往かん!!



2011/10/20(木)17:33 自宅にて
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2011/10/21(金)18:01 自宅にて

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