「風よ」〜オレンジ・ドリ−ム〜 |
「いいなこの色」 それが,初めて見た印象だった。 もしかしたら,その時に既に決まっていたのかもしれない。 僕の5度目となる移籍先が・・・ さんざん考え,自分が今出来うる限りの事をした上で出した結論が「移籍」であった。 僕は人は足掻くべきだと思っている。 勿論水面下で。 足掻いて足掻いて足掻きまくって。 そして決断を下して。 しかしそれが必ず成功する補償等どこにもなく。 他人(ヒト)の評価はどうあれ,僕は今も多分遠回りの人生を送っているのだと思っている。 そしてこのまま遠回りを続けたまま終わってしまうのかとも。 漠然とした恐怖とともに「そんな事はない」という,これも漠然とした希望を口にしながら。 何はともあれ,日々、モチベ−ションが上がったり下がったりしている事は事実だ。 些細な事で上下を繰り返す己の心を見詰めながら,電車に乗り、仕事をし、本を読み、こうしてノ−トPCに向かう 自分がいる。 その感情は決して表にはみだしてくる事はなく。 内側へ内側へと,深く静かに沈んでいくのだ。 本当はもっと早く動いていたかもしれない。 夏前(去年の)には,思いの方向は定まってきていたのだ。 実は,今迄の4度の移籍は、決断してから動くまでが早かった。 一体となっていたというべきだろうか。 「思い」が芽生えた瞬間には,もう矢が放たれていたのだ。 今回は,先に矢が放たれ、行動は随分遅れた。 矢は的を探し,長い時間虚空を彷徨っていた。 気持ちは「移籍」に動いていたのだが,何かが踏み止まらせていたのだ。 それは何だったのか? それは多分,慣れ親しんだ、ある意味、居心地の良い場所を離れる自分自身への「?」だったのかもしれない。 現在は,昔と違い事務所を移る人間は多く、移るという行為は、そんなに特別な事と捉えられなくなっているのだが (本人にとっては大きな事だと思うが)、僕が若い頃、特に最初に動いた時には、移籍するまでのスタッフの冷たい視線と 言葉が、心に痛かったのを憶えている。 そういう行為は「悪」とみなす風潮があったのかもしれない。 個人が動くという事に対しては厳しいアゲインストが吹いていたのだ。 だけどそれは生きる為に必要な事だったのだ。 新人の僕が生き残っていく為には。 プラス,若かったからだろう。 「怖さ」よりも「未来」への希望の方が遙かに大きかったのだろうから。 「この世界で仕事が出来なくなるぞ」というセリフは,移籍話が出る度、まことしやかに語られる言葉なのだが、僕は、 4度の移籍でそれを身をもって体験した。 殆どはなく,少しはあるという事を。 僕は移籍のオ−ソリティのように見られていたのか,移籍を考えている、後輩や先輩から様々な意見を求められた。 その度に僕は答えていたものだ。 「この世界にいられなくしてやるなんて言われても大丈夫ですよ,そんな事出来る筈がないんです、気にしなくて平気ですよ」と。 時には、喫茶店で、時には、路上で、時には、山手線のホ−ムで。 自分がそういった関わりを持った人達は「移籍」がプラスに働いたようなのだが,僕はと言うと、自分的には失敗を 繰り返していると思っている。 勿論,様々な事務所を経験している事で、実に色々なタイプの仕事に遭遇したし、そう言った意味では、自然と 引き出しは増え、幅は広がっていったので、結果的には自分が助けられるという結果に繋がっているのだが。 ただ,自分の中ではやはり「失敗」なのだ。 「失敗」と言うより,あまり巧く言っていないと言った方がしっくりくるのかもしれない。 以前ある人と飲んだ時こう言われた事がある。 「中原ちゃん,後手を踏んでるねぇ」と。 「そうかもしれない」その時はボンヤリとそんな風に思ったものだ。 しかし,その幾つかのシ−ンの決断を僕は悔やんでいる訳ではないのだ。 その時・その時では、それが一番自分にとっていいと、あの頃の僕自身が判断していたのだから。 ただ,巧くいかなかっただけなのだ。 それならば又やり直せばいいだけの話なのだ。 僕は昔から本当に甘っちょろい奴で,追い詰められないと「芯」からヤル気にならないというどうしようもない性格 の持ち主だったりする。 そうしないと,眠っているであろう「自分の何か」が目を覚ましてくれないのだ。 だからと言ってそれが「いつも」とは限らないのだが。 去年まで在籍していた「シグマセブン」には,こう言っては何だが、骨を埋めるつもりでいた。 自分が尊敬する,現在、全てのナレ−タ−の中で(僕が)トップだと思っている方が名を連ねていらっしゃるし「移籍」 などという言葉は微塵も浮かんでこなかったのだ。 ならば何故・・・ 多分それは,初めての「移籍」の時の心境に似ているのかもしれない。 「生き残る為」という。 プラス「自分が自分らしく自分としている為」と言ったらいいのだろうか。 様々な要因は抜きにしても,僕は「ここには自分の居場所がない」と思ってしまったのだ。 そして考え続けた末,今回の結論に至ったのだ。 それからは早かったのかもしれない。 今の事務所「ビ−ボ」との初遭遇は,HPであった。 トップペ−ジを開いた瞬間,僕は確かに魅かれていた。 あの「オレンジ」を見た刹那,僕の心は決まっていたのかもしれない。 ここでなら僕はしっかりと立つ事が出来るのではないのかと。 風に立つライオン(直筆メッセ−ジ参照)でいられるのではないのかと。 あの,プロスポ−ツの世界で「ジャ−ニ−マン」と呼ばれるアスリ−ト達のように、僕にとっては、場所が巧くマッチ していなかっただけなのかもしれない。 同じ所属をするのなら「場」が合うか合わないかというのは重要な要素ではないのだろうか。 納得出来ないのであれば,あとは「フリ−」という道しかなく。 ただ,僕には最初からその選択はなかったのだが。 「ここなら」と思った一番の理由は,所属人数が少なく、アットホ−ムだという事だろうか。 そこに僕は若き日の自分を重ね合わせてみる。 言われたのだ。 以前,ある小さな事務所に移った時、何故大手と呼ばれる幾つかの事務所の内の一つに行かなかったのかと。 思っていたのだ。 「俺はここで上を目指す」と。 熱かったのだ。 とてつもなく,熱かったのだ・・・ 夕陽が大好きな自分にとって「オレンジ」は切っても切り離せないものなのかもしれない。 自分のオフィシャルサイトにも「オレンジ」は使われている。 そして僕は去年の夏前に,イエロ−レザ−(オレンジに近い)でワンショルダ−(鞄)をオ−ダ−していた。 それは「次に歩き出す為」の鞄として僕が必要だと感じたものだった。 そいつを肩に新しい地平に歩き出す。 何か明るい色合いの鞄が欲しいと思い、イエロ−が頭に真っ先に浮かんだのだ。 携帯もオレンジカラ−を購入していた。 ただ,その時はまだ「ビ−ボ」に遭遇していた訳ではなく。 だから「これも縁か」と思ってしまうのだ。 それと共に今手元には,やはりこれもオ−ダ−した、オレンジレザ−でカバ−されたスケジュ−ル帳がある。 今年のラッキ−カラ−は「オレンジ」だと,去年「移籍」が決まった後、急遽発注したのだ。 発注したのは勿論「アメノスパジオ」仲垣くんのところだ。 実はパスケ−スもオレンジにするかどうかで今思案中だったりする。 そういった小物達も,僕にとっては自分を語る上で切り離せない、とても大事な、大切な相棒なのだ。 左からの夕陽を身体いっぱい浴びながら,僕は思う。 年賀状にセレクトした写真に込めた自分の思いを。 手前の草の靡きと,少し濃い色合いの蒼穹と、そこに浮かぶ雲とを。 手前から向こうへ。 「アゲインスト」を「フォロ−」に変えてみせる・・・と。 遙か蒼穹を吹き渡る「風」となるんだ・・・と。 「風」の行方は「風」しか知らず。 辿り着くのがどこであれ「場」を得られるのであれば,これ以上の幸せはなく。 「オレンジ」という色に自分の未来を重ね,同じく「オレンジ」という色に自分の進むべき道を見る。 全てが「オレンジ」に染まった時,自分はどこに立っているのか。 「正当」と見られながら,自分は「アウトサイダ−」だと思って生きてきた。 「異端」には「異端」の生き方があり,アプロ−チの仕方はある筈だ。 他人(ヒト)の事を気にするより,自分は自分になっていくべきなのだ。 風が吹いている。 僕の背中を押すように吹いている。 ここから,蒼穹を目指して。 ここから・・・もう一度・・・ 2007/12/10(月)17:22〜12/27(木)15:55 茅ヶ崎「スタ−バックス」にて |
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