思いのままに


あれは20歳から21歳にかけての頃だったろうか。

当時僕は大真面目に「身体と精神を鍛える為」と称し,肉体を酷使するバイトに日々明け暮れていた。
大学を中退し,専門学校(夜間)に通っていた僕は,毎朝6時に起きて、その現場へと向かっていた。
「遺跡発掘調査」
それがそのバイトの名目だったが,実情は、テレビで目にするような、刷毛を使って細かい作業をするような
簡単なものではなく、その前の段階である、切り崩された山の一角を掘り起こして、最終作業である先程の
工程まで、調査対象である土地を均していくというものだった。
結局僕は「最終工程」を迎えた段階で辞めてしまったのだが,そこに至るまでの約4ヶ月間続いた人間は、
僕を含めて3人しかいなかった。(チ‐フを担当していた人は除いて)
殆どが大学生,それも僕のように48キロ位(20代後半まで50キロを越えた事がなかったのだ)しかないひ弱な
体格の人間は一人もおらず、僕の二倍・三倍の、どちらかというと体育会系の男達が集まるバイトだったのだ。
日給(8時から17時)6000円とあの頃にしては割りの良いバイトだった事もあり,入れ替わり立ち代り、多くの
学生達が来ては去っていった。
去っていった一番の理由は「きつかった」からだろう。
かくゆう僕も初日を終えた段階では「こんなの続けられないよ,明日からはもうこない事にしよう」と泣き言ばかりを
連ねていたのだが、次の日も、その次の日も、重い身体を引き摺りながらも、足は集合場所を目指していた。
それは多分,前述した目標を掲げていた事が大きかったのだと思われる。
まず始めに僕達がやらされたのは,機械によって木が切り倒された土地を、根や株と一緒に、ある程度まで
掘り起こす事だった。
同じ大きさにビニ‐ルで囲まれたテリトリ‐(沢山あった)に,4〜5人が入り作業は開始された。
その内,現場監督が「ちょっと競争してみるか」と言い、横一列に並ばされ、向こう側まで早く掘り進んだものが
勝ちというゲ‐ムが始まった。
シャベルの使い方は事前に教えられていたのだが,腰の入れ方などがまだよく分らず、故に、体格・体力で大きく
劣る僕はダントツのビリであった。
「ほらしっかりしろ!情けないぞ!」
現場監督から叱責が飛ぶ。
僕は滝のような汗を滴らせながら,何とか向こう側まで辿り着いていた。
その時僕を慰めてくれたのは,一緒の班にいた、幾つか年上のTさんだった。
「慣れれば大丈夫だよ」
その時の僕には,泥と汗にまみれた顔で荒い息と共に「ハイッ・・・」という言葉を搾り出す事しか出来なかった。
Tさんとは約4ヶ月の間行動を共にする事になるのだが,Tさんは「お金を貯める為」と、時間外労働や休みの日
(日曜)なども現場に入る事が多かった。
だんだんコツが飲み込めてくるに従い,僕は周りの人達と遜色なくシャベルを使う事が出来るようになっていった。
そうすると「掘る」という行為が面白くなってくるから不思議だ。
確かこのバイトは10月を幾らか過ぎた辺りから開始されたのだが,朝、現場近くのプレハブで着替えをする時が
とても寒くて辛かった事を憶えている。
バイトの一日は,小田急線の相武台下という駅に集まる事から始まった。
そこへチ‐フ(同じくバイトなのだが20代真ん中くらいの人だった)がライトバンで来て、2〜3回現場までピストン
輸送をしてくれる。
僕達は着いた順に素早く着替え,山に入っていくのだ。
そして,その穴(区画)の中と外に分かれて作業を始めるのだ。
中の人間が外へ放り上げた土などを,外の人間が「ネコ」と呼ばれる一輪車に再度乗せ、少し離れた集積場所
に運んでいく。
その繰り返しを延々と続けていくのだ。
穴もただ掘ればいいというものではなく,何かの欠片が出てくるかもしれないという事を頭の隅に置きながら、
時には大胆に、そして時には細心の注意を払いながら進められていった。
昼休みになると支給された弁当を早く食べ,近くにあった芝生に寝転びうたた寝をした。
何の為にあったものなのか,まるでゴルフ場にある大きなグリ‐ン程の広さがあったのだ。
晴れた日は本当に気持ち良く,草の匂いと風に包まれ、大の字になっていつまでも飽きることなく空を見上げて
いたものだ。
そういえば,一度だけこんな事があった。
ジュ‐スを買おうと古い自動販売機に硬貨を落としボタンを押したら,ザザザザ‐ッと、小銭が4〜5百円ほど
一気に出てきたのだ。
呆気に取られている僕を尻目に,硬貨は小さな受け皿から外へ勢いよくジャンプしていた。
我に返った僕は周りを確認して人がいない事を確かめると,小躍りしたい気持ちを抑え急いで小銭を掻き集め、
「凄い!凄い!」と心の中で呟いていた。
一瞬「これって泥棒になるのかなぁ」という漠然とした不安が広がったのだが,それよりも突然自分に降り掛かった
幸運の方が遙かに勝り、僕はホクホクで有頂天だった。
だってあの頃の百円は,僕にとって大金だったのだから。
最初は「この幸運は自分だけのものにしておこう」と誰にも言わないつもりだったが,結局は、Tさん始め、バイト
仲間に喋ってしまった。
やはり誰かに聞いてほしかったのだ。
しかし,その自動販売機は、それ以降、小銭を吐き出す事はなかった。
逆にお釣りが出ないという事はあったのだが・・・

冬になると,流石に芝生に寝っ転がる事は出来なくなったのだが、僕達は違った楽しみを見つけてはそれに
興じていた。
それは近くの,荒れてもう使われていないような畑にあった。
足でちょっと掘ると簡単に出てきたものだ。
「石焼芋」
誰がそこに「さつまいも」があるのを見つけてきたのかは忘れてしまったのだが,流石に「遺跡発掘調査」という
名目のバイトをやっているだけあって「鼻」は効いたようだ。
僕達はそれを作業を続けながらやっていた。
穴の中と外は時間によって交代するのだが,その時外に出ている人間が「石焼芋」係となって焚き火の管理も
任されていた。
そして僕等は作業の合間や,休み時間に「石焼芋」を頬張っていた。
自然の中,どこまでも高い空の下で食べる「石焼芋」は、格別な味がした。(「石焼芋」といっても,落ち葉しか
使っていないのだが)
でも僕等は,食べる事よりも、その過程を楽しんでいたのかもしれない。
周りを気にしながら,ドキドキしながら続けた焚き火の事を。
冬も深まってくると,雪が降る日もあった。
雨だとその日の作業は殆ど中止になるのだが,雪だと、どんなに吹雪いていても決行された。
現場に入って暫くして中止が決定した或る雨の日。
いつも陽気なSさんが,ライトバンを降り駅へ向かう道すがら「喫茶店寄っていかない?」と僕とTさんを誘ってくれた。
二人はバイク好きで,ツ‐リングに行く計画を立てているようだった。
とても寒いというか冷たい日だったので,僕は「ココア」を注文した。
あの時のココアはとても美味しくて,身体も心もポカポカになったものだ。
席を立つ時Sさんが「俺の驕りだから」と伝票を掴んでレジへ歩き出した。
僕は「いいんですか?」と追いかけ「いいからいいから」と言うSさんに「ご馳走様でした」と頭を下げていた。
「また来ような」というSさんに僕は「ハイッ!」と力強く答えていた。
しかし,それから二度と3人で「喫茶店」に入る事はなく、だから尚更その時の「ココア」の味は、その雨の日の
情景と共に、僕の中で「格別な味」として、いつまでも生き続けているのだろう・・・

雪の日はかじかむ手指に息を吹きかけながら,作業は続けられた。
吹雪いた日もあったのだが,僕達は歯を食いしばりながら黙々とその日のノルマをこなしていった。
その頃には,もう始めた頃の山の面影はなく、広い台地が広がっているような感じになっていた。
早い区画では,掘り起こし始めたとたんに既に何かの破片が見つかったりしていたものだ。
そんな,今の作業も先が見えてきていたある日。
僕は同じチ‐ムの人から「じゃあ声優になったら応援するから」と声を掛けられていた。
昼休みに「どんな仕事に就きたいか」といった話になった時だったと思う。
その時大学を中退していた僕は,昨春から専門学校に通っており、その後の身の処し方を模索していたのだ。
本当は一昨年から専門学校に通っている筈だったのだが,タイミングが悪く、一年先送りになっていたのだ。
ちょうど「早稲田小劇場」という劇団に入っている人がいて「声優」の事を聞いてみたりしたのだが、そのYさんは
「芝居の事なら色々アドバイス出来るけど声優はなぁ」と考え込んでいた。
ただ,道筋が全く見えないという事だけは僕にも感じ取る事が出来た。
そして,ここがかつて山だった等と誰も思わないであろう状態になり、刷毛での作業に移行していった頃、
僕は次のステップに進むべく,このバイトを卒業する事になった。
TさんとSさんとYさんは,まだその後も暫くの間続けていたようだ。
この後僕は他のエッセイにも記してある「ボイスア‐ツ」と出会いラッキ‐にも「プロ」の世界に放り込まれる事に
なるのだが、実はYさんも,少しの間「ボイスア‐ツ」のレッスンを受けた事があった。
あのバイトの後も時々は連絡を取り合っていて「声に興味がある」という事で、レッスンを見学に来た事もあったのだ。
しかし,Yさんは少しして去っていった。
やはり「舞台」というもの魅力の方が勝ったようだった。
その後の,TさんとSさんの消息は分らないのだが、Yさんについては「絶対この人だ」と確信している人がいる。
その人はCMを中心に活躍している役者さんなのだが,あの頃のYさんの面影があるのだ。
最初は気付かなかったのだが,偶然にその方の苗字を知り合点した。
もしかしたらどこかの現場で遭遇する事があるかもしれない。
そうしたら声を掛けてみようと思う。
そして,あのきつかった穴掘りの日々を肴に、是非酒を酌み交わしたいものだ。
もしかしたらTさんやSさんとまだ親交があるかもしれない。
そんな事を考えると自然に微笑が湧いてくる。
そして,あのバイトをしていた頃は、一番貧弱だった僕が、高校の友達の中で、一番腕力がある人間になっていた
時期でもあったのだ。
それは僕の密かな喜びとなり「自信」となっていたものだ。
あの頃大真面目に「身体と心を鍛える為」と飛び込んでいた幾つかのバイト(遺跡発掘の他にもあった)は,
逃げずに終えた事で、確実に僕の何かを強くしてくれたようだ。
もしかしたらそれがあったから今迄頑張ってこられたのかもしれない。
「辛かった」バイトは,僕を芯から「強く」してくれた。
でもそれに気付いたのは「今」なのだ。
これを打ちながら今更ながらに気が付いたのだ。
もしもう一度あの瞬間に帰ったとしたら,僕は多分、一日で脱落するだろう。
そしてあの時,次の日集合場所に行っていなかったなら、大袈裟ではなく、僕の人生は大きく変わっていたの
ではないだろうか?
そんな風に感じてしまうほど,あの頃の「思い」は、真っ直ぐで「ピュア」なものであったのだとつくづく思う。
あのバイト達は,出会うべくして出会ったバイト達だったのだ。

あの時の自分に恥じないように生きていかなければ。
一つの事に「真剣」に「正直」になれる事は,何事にも変えがたい「美徳」であり「誇れる」事でもあるのだから。

自分を包む,草の香り、土の匂い、清らかな山の空気、朝の厳しい冷気、吐く息の白さ、高い空、そぼふる雨、吹雪、
ボタン雪、一面の銀世界、紅葉の燃え立つような赤、ゆらゆら立ち上る焚き火の煙、ホクホクの薩摩芋、滴る汗、
泥まみれのシャベル、冬枯れの木立、ハラハラと舞う最後の一葉、土の音、身体で感じていたその重さ、弾ける笑顔、
寝転んだ芝生の感触、行き交う雲、風の唄、近かった虫の声、作業終了の号令、ひっそり立つプレハブ、
「ネコ」のバランス、終えた直後の満足感、泥のように眠った夜、早足で駆け抜けたあの時間、充実していたあの時間・・・

青い草の匂いを嗅ぐ度,僕は思い出すだろう。
そしてそこに,黙々と作業を続ける自分の姿を見つけるだろう。

人生には,まだまだ「作業終了」の号令は響かない・・・



2005/10/9(日)15:32 茅ヶ崎市美術館内・」喫茶室「Pino」
              &
     10/10(月)17:05 茅ヶ崎スタ‐バックスにて。


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