空蝉は玉響の中に


「茂,松浦さん、今日の午前中に亡くなられたぞ」
「えっ・・・」
「俺,ショックでさぁ」

Yさんから耳打ちされた僕は,言葉もなく立ち尽くしていた。
容態が悪いとは聞いていたのだ。
そして今は自宅療養中だという事も。
昨年暮れ,自宅に帰られたと聞いた時、僕は「もう長くはないのかもしれないな」と漠然と思ったものだ。 
父の事と重ね合わせて。
しかし,こんなに早いとは。
松浦さんは,まだ60歳を迎えられたばかりの筈であった。
「中原ちゃん・・・」
ふいに,僕の中にハッキリと松浦さんの声が蘇ってきた。
静々とそぼ降る氷雨を縫うように,その声は僕の中に届いていた・・・

その日,僕は六本木にいた。

午前中に仕事を一本終え,時間があったので久しぶりに「丸ビル」に立ち寄り、冷たい雨の中を「何だ
雪にならないのか」と呟きながら、会場近くのカフェに入った。
今日は,事務所の新年会があるのだ。
会場のある「ロアビル」に入るのは今回が初めてだった。
昔,六本木に勉強会の為に毎週通っていた時「ロアビル」は、その中心として有名な場所だった。
古い言い方をすると「若者のメッカ」だったのだ。
ただ,僕には縁のない場所であった。
何せ僕はディスコにさえ行った事がなかったのだから。
そういう事に,非常に臆病だったのだ。
そういえば,先日亡くなられた、小森のおばちゃまの店にも連れていってもらった事があった。
当時教えていただいていたディレクタ−が,おばちゃまと親しかったのだ。
その頃は洋画劇場がまだ活発だった頃で,毎日、21時からが洋画の時間だったものだ。
だから,おばちゃまとも、毎週一度は、テレビを通して顔を合わせていた。
おばちゃまは,日本語版を長年引っ張ってきた功労者の一人だった。
僕は飲めない水割りをチビチビ舐めながら,そのディレクタ−とおばちゃまの会話を聞いていた。
自信に満ち溢れた物言いをするディレクタ−の言葉に耳を傾けながら「俺もこんな風に自信を持って
喋る事が出来るようになるのだろうか」と思っていた。
「ほらっ,中原、お前も、おばちゃまに紹介される作品を任される位にならないとな」
「ハッ,ハイ・・・」
「もうねぇ,こいつは暗いんですよ、おばちゃま。中原、お前はもっと自信を持て、お前はなぁ・・・」
そんな風に言われ何も言えずにいる僕を,おばちゃまは、ニコニコしながら優しく見詰めてくれていた・・・

外は相変わらず雨が降り続いている。
「ちょっと着込み過ぎたかなぁ」
予報程,気温が下がらなかった事にブツブツと文句を言いながら傘を差す。
小走りに「ロアビル」を目指した。
エレベ−タ−で目的の階へ。
パ−ティ−ル−ムは天井も高く,光に溢れ、とても開放的な雰囲気に包まれていた。
一年に一度,こういった場所でしか顔を会わせる機会がない方達と挨拶を交わす。
天井はどうやら,晴れた日にはオ−プンさせる事が出来るようだ。
ちょうど今はパラソルが閉じている形と表現すれば分っていただけるだろうか。
そういうパラソルが,五つ程、屋根にしつらえられてあるのだ。
社長の挨拶,乾杯の音頭の後、パ−ティ−は静かに幕を開けた。
暫くして,Yさんが遅れてやってきた。
そして,久しぶりにYさんに声を掛けた時だったのだ、その話を聞いたのは。

「中原ちゃん・・・」

松浦さんは,僕のデビュ−作である、アニメ「魔境伝説アクロバンチ」の音響監督であった。
初めて,新宿の、地下にあるスタジオでお会いした時の事。
本番の一時間前にスタジオに入り,毎回・毎回、本読みをしていた事。
僕だけ何度も何度も録り直しをし,本番が終わった後も「じゃあ中原ちゃんだけ残って、もう一度最初から
録り直そう」と言われた事。
「今は苦しいかもしれないけど,僕は中原ちゃんが、2〜3年で消えていく人じゃないと思ってるから頑張ろう」
と言われた事。
ある人から苦言を呈され,悩んだ挙句自分の役(アニメ・超獣機神ダンク−ガ)について聞きに行った時
「笑わせようとするのがコメディじゃないんだ、中原ちゃんは中原ちゃんの、そのままでいいんだよ、それが
欲しくて僕は君をキャスティングしたんだから」と言われた事など。
様々な情景が浮かぶ中,唐突に思い出した事がある。
それが,何時、どのような経緯(いきさつ)でであったのか憶い出す事は出来ないのだが、一度だけ、松浦
さんと二人だけで飲んだ事があったのだ。
多分,事務所を移った時か、離婚をした時だったと思うのだが、僕はその時、卓を挟んで松浦さんと酒を
酌み交わしていた。
「僕はねぇ,君とそんなに仕事をしてるわけじゃないけど、ず〜っと気にかけてるんだよ。今、ビバリ−
ヒルズだっけ?やってるよね。あぁ、ちゃんと中原ちゃんを見ててくれる人がいるんだなぁ、良かったなぁ、
って。ホントだよ・・・」
そう言って柔らかく微笑む松浦さんに,僕は「ありがとうございます」と頭を下げる事しか出来なかった。
その後,松浦さん行き着けのカウンタ−だけの焼き鳥屋に行き「またいつでも連絡しておいで」と言われ、
別れた。
松浦さんは,どうやらもう一軒行くようであった。
僕は,松浦さんの背中が見えなくなるまで、その場で見送っていた・・・

ディレクタ−としての松浦さんは,僕に様々な役を振ってくれた。
久しぶりに呼ばれたかと思うと,自分がやった事のない役だったりしたものだ。
お陰様で,役の幅・声の幅が広がり、自分でも気付かなかった自分というものにも出会わせていただいた。
中でも,ストレ−トプレイの作品に多く使っていただいたので、芝居の質は上がっていったようだ。
勿論,デフォルメされたものが良くないなどという短絡的な物言いをするつもりはない。
ただ「真」がしっかりしていないと「誇張」はただの大袈裟な表現になってしまいがちだろうという事なのだ。

「中原ちゃん・・・」

あの頃,あの現場には,当たり前だが、周りには僕よりも上の人間しかいなくて(年齢も芝居の面でも)。
そんな時代に,定説を覆すキャスティングで(それまでは、15歳位の少年役は女性が演っていた)、経験
の全くない僕を大抜擢してくれた松浦さん。
打ち入りの席で監督から「うちの超・新人です!」と紹介され,それがどれだけ異例だったかを肌で感じ
た瞬間、例えようもない恐れに包まれていた21歳の自分。

「でも,松浦さん、俺は、俺はそれから何とかまだこの世界で生きています。
そして,もうすぐ24年目のシ−ズンに突入しようとしています。
ここまで来たら,絶対死ぬまでこの世界で生きていきたいです。
あの時あの現場で経験した事が,血となり肉となって、僕の体の一部になっています。
骨の髄まで染み込んでいるといっても過言ではないでしょう。
だから,だからこそ、俺はまだここに立っていられるんです。
でも,倒れる事を怖がっている訳ではないんですよ、倒れたら、また立ち上がればいいだけですから。
そう,何度でも。
松浦さん,天空の高みから、どうか見守っていて下さい。
自分はまだまだこれからだと思っていますので。
ようやくこれからなんだと思っていますので。
今こちらは雨ですが,そちらは爽やかな青空が広がっているのでしょうね。
どこまでも広がる蒼穹は,とても見事なんでしょうね・・・」

「中原ちゃん・・・」

また一人,僕を育んでくれた方が逝ってしまわれた。
それも,僕という人間を語る上で一番重要な「黎明期」に出会った人が。
松浦さんと出会う事がなければ僕は多分,いや、絶対に、声優にはなれていなかったであろうし、ここに
立ち続けている事は叶わなかっただろう。
紆余曲折,絶望の淵に立たされた事も何度もあった。
ず〜っと仕事がなく「このまま終わってしまうのか」と思った事も幾度となくあった。
しかし,その度に僕は思ったものだ。
「君は2〜3年で消えていくような人だとは思ってないから」
あの松浦さんの言葉があったから,幾度となく「クソッタレ!俺はまだ死んだわけじゃない!」と立ち
上がり続ける事が出来たのだ。
自分を信じ続ける事が出来たのだ。
そんな僕にも「継続」は「力」となって確実に蓄えられてきた。
そう,こんな僕にも。

「アクロバンチ」が終わってから約2年半後。
僕は,新番組「超獣機神ダンク−ガ」のAR現場で、久しぶりに松浦さんからのディレクションを受けていた。
スタジオも同じだった。
この年,僕は、劇場版「アリオン」でもアリオン役で、洋画TVシリ−ズ「ファミリ−タイズ」でも、準レギュラ−
としてスキッピ−役で同じく大抜擢されていた。
これらの呼び水となったのは「超獣機神ダンク−ガ」だったのだと,僕は今でも思っている。
そしてあの年は,自分が更に一段階ステップアップを遂げた年となった事は確かだ。
本直しが終わり,RHが始まる。
当時はまだフィルムだったので,スタジオ内は照明が落とされた。
すると,まるで魔法にでも掛かったかのように、自然に向こう側の世界に引き込まれていったものだ。
僕は「ダンク−ガ」の役としてではなく「式部雅人」その人になっていったのだ・・・

それからは,ポツリ・ポツリとしか松浦さんと仕事をする事はなかったのだが、その全てが、ぼくの
「力」となっていったのは紛れもない事実だ。
その事は僕の身体が,僕自身が一番良く知っている。
あの時と同じように僕は空を見上げる。
空に己の心模様を問い掛ける。

「中原ちゃん・・・」

僕の五感に触れるもの全てが,役ではなく、その人を生きる事へと向いている。
何も知らなかった僕が「アクロバンチ」の現場で追い詰められながら学んだ事はとてつもなく大きかった
のだ。
今ならばそれが良く分かる。
あの瞬間に生きていられた事を,松浦さんに感謝したい。
僕を生かしてくれた事を,感謝したい。

僕はこれからも生きていきます。
僕のこれからの課題は「生きる」という思いさえ抱(いだ)かず,その人になるという事です。
対した瞬間,なっているという事です。
それが,どんな役柄であろうと、人でなかろうと、NAであろうと。
全てに於いて。
そしてそれは可能なのだと思っています。
ただそれには強烈な「我(われ)」というものが必要不可欠なのだと思っていますが。

松浦さん,あの時、逃げる事しか考えていなかった僕が、何時の間にか逃げる事を由(よし)としない人間に
変わっていました。
人とは変わるものですね。
そして強くもあり,弱いものですね。
しかし・・・

僕はもっと遠くへ行きたいです。
もっともっと高い所へ行きたいです。
誰も足を踏み入れた事のない次元へ行きたいです。

その為にも,当たり前に次の一歩を大切に踏み出していきたい。
あなたに教えていただいた全ての事を糧としながら。

「空蝉(うつせみ)は玉響(たまゆら)の中にか・・・」

ふと,そんな言葉が僕の中から静かに零れていき、揺らぎながら虚空へと吸い込まれていった。

僕はただ,その一点だけを凝視していた。
そう,きっとそこから、新しい言葉が生まれてくるのだと信じ、願いながら・・・


PS:この文章を,先日亡くなられた、松浦典良さんに捧げると共に、故人の御冥福をお祈りいたします。



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