素描画(デッサン)の破片〜ノ−ス・ランドにて〜



 帯広,天候悪し。

もしかしたら,新千歳に降りるか、引き返す可能性あり。
去年と同じ状況になる。
帯広は雪が既に深いようだ・・・

僕は今迄,旅に出る時に、常時携帯するミニ・ノ−トというものは特別に決めてはいなかったのだが、先日、片岡義男さんの著書「文房具を買いに」を拝読した時に、「そうだな、その時その時にふと感じた事を書き留めておくノ−トも持っておくか」と思い立ち、最初はそこに載っていた、モ−ルスキンの手帳を購入するつもりで銀座の伊東屋を訪れたのだが、今一つ気にいらず、方々を探し回った挙句、とうだいもとくらしとでも言うべきか、違うものを物色すべくたまたま立ち寄っていた横浜のロフトで、その手帳を目に留めたのだ。
手に取った瞬間「これにしよう」と決めていたし,帯に書かれていた言葉にも心をくすぐられた。
そして今僕の手元には,その手帳が置かれている。
今日(2003/12/19)からその雑記帳を使い始める。
旅に赴く時は,これから常時携帯する事になるであろう。
これからどのような事をこの手帳に殴り書いていくのか楽しみでもある・・・

少し離陸が遅れているが,そろそろ出発のようだ。
北海道が,十勝が、帯広が、どのような表情を僕にまた見せてくれるのか。

雲を突き抜けたそこはいつも快晴だ。
しかし,雲の表情の何と豊かな事か。
雲にサンドイッチされるように太陽が見え隠れし,一部黄金色に染まった海は、まるで硬質な大地のようで、とてもそれが「水」だ等とは到底思えない。
何と幻想的な光景か。
刷毛で掃いたような雲の中を,窓に張り付いた小さな黒い点のような飛行機が、こちらとは逆方向に飛んでいく。
良く見ていなければ見落としてしまいそうなそれにも「沢山の人生があるんだなぁ」と思うと、何だか不思議だ。
眼下に茶畑のような雲の連なりが見える。
いきなり雨雲に入った,何も見えない。
と思っていたら,突然視界が開けた。
姿を現わした十勝の沃野は,一面の雪に覆われていた。

空港(十勝帯広空港)からホテルへシャトルバスが運行しているのだが,乗客は、僕一人だった。
バスに乗り込んでから10分程待っていたのだが,結局誰も乗り込んでこなかったのだ。
前のバスや,前の前に止まっていたバスには大勢の人が乗って行ったのに。
「ラッキ−だ」と,小さく僕は呟いていた。
以前にも,スキ−旅行の帰りの夜行バスが貸切状態だった事があった。
他にも,北海道にスキ−に来た時、空港(新千歳)で受け取る筈のスキ−板が届いておらず、バスに乗る事が出来なかったというアクシデントがあったのだが、「待っていただければ」と、何と札幌から黒塗りのハイヤ−を廻してくれる事となったのだ。
かくして,そのハイヤ−・センチュリ−に乗って,途中、運転手さんにガイドをしていただきながら、悠々とスキ−場に向かう事が出来たのであった。

去年のもう少し遅い時期よりも,もう帯広は一面の銀世界だった。

「北海道ホテル」
部屋は,新館3階のテラスツイン。
だが,見事に何も見えない。
中庭の木の頭がようやく見える程だ。
しかし僕には学習能力がないのだろうか。
全然寒くないのだ。
ジャケット等もいらなかった位だ,マフラ−さえも。
そんな事をブツブツ言いながら,コンビニまで買い物に出た。
雪の中を歩くのはおよそ一年振りであるが,自然と気分が高揚してくるのが分かる。
気がついた時には,鼻歌混じりに雪に話しかけたりしている自分がいるのだ・・・

「バ−ドウォッチカフェ」で,中庭を正面に見ながらランチを摂る。
雪が静かに降り続く中庭の様は,いつまでも見飽きる事等ないだろう。
そういえば,バスの車窓から遠くの針葉樹を見ていたのだが、そちら側は全く雪など降っていないように見えていたのに、逆の車窓に目を転じると、雪は後から後から落ちてきているのだ。
それは,遠近法の問題だけでは簡単に説明出来ない、とても不思議な光景だった。

「しかし,静かに後から後から落ちてくるものだ」
それも,皆ちゃんと順番を待って落ちてきているようなのだ。
「彼等はいつまでたってもなくならないのだろうか?」
これは驚くべき事ではないのかと,食後の珈琲を飲みながら考えていた。
「次はダイヤモンド・ダストで飲むか」
と,お茶の梯子計画を決行に移そうかと思案しながら、白い世界を見続けていた。
それにしても,足寄町スペシャルランチのデザ−ト・じゃがいものアイスは旨かった。
じゃがいもの食感と味がキチンと残っていたのだ。
和風スパゲティも気に入った。

「ダイヤモンド・ダスト」から久しぶりに見る、「見猿・聞か猿・言わ猿」の梟版。
暫くしてある事に気がついた。
「見梟・言わ梟・聞か梟」という風に,ちょっと順番が違うのだ。
彼等は雪が積もらないような位置に鎮座しているのだが,それでも、頭や肩や足元には、少し雪が積もっている。
ちょっとお茶目な表情を見せる彼等は,あそこで一体何を見、いや、何を感じながら過ごしているのだろう。
雪が,時折激しくなったり、舞うようにゆったり踊るように降りてくる。
彼等はその雪達に話しかけられているのかもしれない。
そうだ,きっとそうなのだ。
でも,あまりにも雪達がお喋りだから、梟三兄弟は今の姿をとったに違いない。
それでも雪達は,いっかなお喋りをやめようとはしないのだ。
これからが,お喋りが本格的に解禁される季節の始まりなのだから。
この冬が終わるまで,彼等・彼女等は、絶え間なくお喋りを続けるのだろう。
全てが陽光に照らし出される季節を迎えるまでは。
空はどこまでも,白と鼠色を混ぜて、白の方が勝(まさ)っているかのような色合いを見せ、同化している場所から突然雪達は姿を現わすのだ。
また雪がゆったりと舞いだしたようだ・・・

部屋に戻り,Kのラジオを聴きながら、レッツ・ノ−トに向かう。
雪は相変わらずだ。
「う〜ん」
心が今ひとつ浮かない。
その原因は分かっている。
分かってはいるのだが,「仕方ないか」と諦めようとする自分がいる。
でもやはり諦めきれず,思い切ってフロントに電話を入れる。
「明日と明後日なんですが,出来ましたら、日高ウイングのス−ペリア・ツインにチェンジしていただく事は可能でしょうか?」「そちらのお部屋、お気に召されませんでしたでしょうか」「いえ、そういう訳ではなく、日高山脈が見たいものですから」「そういう事でしたか、では、暫くお待ちいただけますでしょうか」「スイマセン」
待つこと数分。
まるで時まで待ってくれているような時間が過ぎる。
「では、明日・明後日の二泊、日高ウイングのス−ペリア・ツインのお部屋にチェンジさせていただきますので」
「本当にスイマセン、こんな突然に」「いえ、では、明日お出掛けされた後に、ホテルのスタッフがお荷物を移動しておきますので」「ありがとうございます」「それと、日高山脈を望むのであれば、出来る限り高層階のお部屋がよろしいですよね」「ハイ、出来れば」「分かりました、まだどの階のお部屋になるかは分かりませんが、出来るだけ御希望に添えるようにいたしますので」「本当に有難うございます」「それでは失礼いたします」
自分でも我侭だと思う。
「思うが,ここではそれも許されるのだ」と、自身に納得させようとしている自分がいた。

「やはりここに来たら日高を見ないとな」
かくして僕は,あの懐かしい風景とまた再会出来る喜びを噛み締めていた。

雪の舞う久しぶりの露天。
雪達がペチャクチャ言いながら降りてくる。
僕は全身を使い,彼等・彼女等と対話をしていた。
露天に出たすぐの踏み石の前に立って見る光景がベストだと,様々な場所、角度から試した後、結論に達した。
手前にある一本の木の背景に,北海道ホテルの中庭の木々が見え、右端の真ん中の高さに、見梟が入ってくる。
この四角く切り取られたような光景はとてもいい。
湯船から出たり入ったりしている僕に,雪達は飽く事なく語りかけてきていた。
バスに続き,ここも貸切状態で、一人の穏やかな時間が雪と共に降り積もっていくようだった。
部屋に戻る。
いつものように音楽を掛け,紅茶を飲み、本を読む。
時々,テラスへの大きな窓を開け外に顔を出す。
冷気が心地よい。
ベランダの手前,雪がまだ積もっていないところに落ちては溶ける雪を見ているのが面白い。
ペ−ジに視線を落とす。
珈琲を淹れに立ち上がる。
CDを掛けかえると,少し明るくなっているのに気づく。
どうやら中庭の木々がライト・アップされたようだ・・・

 「少し早いけど食いに行くか」

夕食は「バ−ドウォッチ・カフェ」と決めていた。
昼と同じ席に座る。
しかし,目にした光景は一変していた。
ライト・アップされた中庭は,雪を纏った木々達は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
その中を,雪は静かに舞い降りる。
「雪は何故積もるのか」
積もるという事は,溶ける暇が与えられないという事だ。
でも,今落ちてきている雪達は,ゆったりと落ちてきているだけなのに積もっていくのだ、何故だろう?
気温が零下だからというのは分かる。
ここに来た40分程の間に,確かに積もっているのだ。
一つ一つは(一人一人であろうか),か細い、か弱く見える結晶なのに、その頼りない一粒一粒が、確実に白い絨毯を膨らませている。

〜時折,木々の上から雪が落とされる。
ザザザザザ−ッ,その時も何だか楽しそうだ。
木々に留まった雪達は幸せだ。
木と沢山お喋りが出来るから。
でも,大地に落ちた雪達も幸せだ。
大地と,多くの仲間たちと、お喋りが出来るから〜

深夜,いつからか雪が止んだ。
一夜明けた中庭は,昨日とはまた違った表情を見せていた。
まるで時が止まってしまったかのような僕の前には,一篇の絵画のような光景が広がっている。
雪達はまだ起き出していないかのようだ。
雪を抱いた木々達は,まるで明るさを滲ませてきた空と同化したがっているように窺える。
それにしても,木々達は粛々と立っている。
雪の重たさに枝をしならせながら,一つの芸術品のように立っている。
中庭に氷柱が運び込まれてきた。
横にしたそれを重ねている。
まだ何本もあるようだ。
何か氷の彫刻でも造るのだろうか?
暫しその作業に見とれていた。
一陣の風が吹き,雪が違う生き物のように舞っている。
冬はまだまだこれからだ。

一昨日の「ダイヤモンド・ダスト」からの幻想的な風景に,僕は心を奪われ目を離す事が出来ず、しばし佇んでいたものだ。
それが,昨日・今日と、木々達が雪を一片(ひとひら)づつ脱ぎ捨てていくにつれ、段々と日常へと回帰していくような、そんな中で時が流れていった。
雪には,やはり何か見ている者の感情を揺り動かす特別なエッセンスでも含まれているのだろうか。
中庭の木々達は,確かに日常へと復していったような気がする。
ここ「バ−ドウォッチ・カフェ」から望む中庭も,まるで魔法を解かれたかのように、夢から覚めたように、冬の空を背景に、当たり前に、そこに存在していた・・・

ホテルのエントランスを正面に望む左手上に,手前(左)から、梟が静止した状態から飛び立とうとするまでの姿、六体が鎮座している。
その様からは,深夜、全てが寝静まった時刻、神秘的な羽ばたきと共に、この十勝の大空を飛び廻っているのでは、と錯覚させるような躍動感が伝わってくるのだ。

部屋のピクチャ−・ウインドウから日高山脈を望む時のベスト・ポジションは,山の様子によって、2〜3回変わる。
窓から占める風景の割合。
下1/4が帯広の街で,上3/4が日高山脈及び、空。
この割合が最も美しいと僕は思っている。
雲は千変万化し,鳥が舞い、飛行機雲が長い尾を曳いて、やがて、ゆっくりと、蒼に溶け、消えていく。
暮れていく空を灰色の雲が右から左へと渡っていく。
日高山脈の上を行くそれらは,まるで、キチンと訓練された艦隊のようだ。
先頭を行く雲の上の部分のいくつかはオレンジ色に染まっている。
それに引っ張られるようにして,艦隊はゆったりと進んでいく。
でもきっとそれは,特別な事等ではなく、いつもと変わらないものなのだろう・・・

今宵,「ダイヤモンド・ダスト」から見る最後の夜の風景。
音もなくシンシンと夜の帳が降りてくる。
積もった雪の照り返しを受けて,木々が青い色を帯びているようで、世界は黒と青に染められている。
その傍らで,電飾を纏った木々が美しく映えている。
雪の白とのコントラストも絶妙だ。
雪達のお喋りも一段落したようだった。
また冬の夜が始まる。
雪の中に閉ざされたこのホテルで,一ヶ月程過ごしてみたいという欲望が突然湧き出してきた。
この時の中に埋もれてしまいたいと渇望する自分がいた。
同じ繰り返しを何度も何度も味わいたいと,切に思った・・・

友人のKに連れられていった,十割蕎麦の美味かった事。
以前から行きたかったログハウス風のKお勧めのカフェが見つからなかった事。
ついに食した老舗の「豚どん」の事。
住宅街の外れにあるひっそりとした喫茶店が気に入った事。
炉辺焼き屋で何人かで飲んだ夜の事。
中庭に完成した「氷の彫刻」が見事で,夕食の後、冷気の中、いつまでも見入っていた事。
何も変わっていなかった「FM・JAGA」「50’クラブ」「バ−・ブル−ス」の佇まい、そして、人々の事。
空の事,雪の事、星の事、月の事、帯広の事。
五感に感じた全ての事。
様々な,事、事、事、事、事・・・

「翼」は休めなければならない,再び雄雄しくはばたく為に。
己を内(なか)から活性化(リフレッシュ)する為に・・・

機体左手には,北の大地の際(きわ)と海が見え、右手では夕空が燃えている。
左右がまるで違う世界のようだ。
「旅の終わりには一杯の珈琲が良く似合う」
そんな事を呟きながら,珈琲にミルクを落とす。
雲の上を,機体は夕焼けに向かって飛んでいく。
何度目にしても,このグラデ−ションは鮮やかだ。
17:00をまわると,機体左側はもう既に夜の様相を呈しているのに、右側は、まだまだ夕焼けの赤が、オレンジが見事だ。
左手の翼の上,富士山がシルエットで見える。
その斜め上には,この日最初の星が瞬いている。
更にその下を,飛行機が飛んでいる。
そんな一枚の絵のような光景を見るとはなしに見ながら,機の振動に身体を預ける。
やがて緩やかに旋回を始めた先に,都会の灯りが溢れ始める。
あの中に僕の生きる世界がある。
あの中でしか生きられないであろう,僕の世界がある。
OFFからONへ。
静から動へ。

タッチダウン(着陸)した瞬間,僕の体内時計が、確かに切り替わっていた・・・



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